おはようございます。ご無沙汰しております。 早速ですが、感想など書かせていただきます。
目を背けたくなるほど、二度と思い出したくない悲しい思い出さえも、心の中では“強い宝石”になるのだという発想が、勇気付けられます。
私達の暮らしている社会の中には、考えても仕方ないことや、思い出しても腹立たしいばかりで何の足しにもならないようなことが、溢れているように感じていました。だから、そんなことには目を向けず、心に半分くらい蓋をして、未来の自分の役に立つことだけに目を向けて暮らしているように感じます。 ですから、“事物に対する全肯定”をすることは、まず、ない。それでも、どこか心の隅で、自分の中の何かどこかが麻痺しているような感覚と罪悪感が残る。タダ、自分が消化できていないだけではないかという思いは残る。 その部分を、しっかりと受け止めた作品のように、感じました。
交流BBSの『勇気の萎えないうちに投稿っ!』という言葉も、何だか理解できるような。ははは。
さて、難を言うなら、“黄色は見づらいです”かな。 あと、一言が長い。今回の感想は、ある意味“一言を含めたものとして見た作品”への感想となりました。 詩を読んだ段階では、“その宝石”は、もっと冷たく、舞踏会などの場所へつけて行く高価で特別な装飾品のイメージ。宝石箱に隔離して、持ち歩きはしないし、身につけもしない。自分自身とはかけ離れた場所へ埋葬しておく……とも受け取れます。 テーマである『宝石』に対する読者のイメージの問題もあるのかもしれません。宝石をドレスや化粧品と同じ“道具”として捉えるか、自分の身体の一部として携帯するものと捉えるかにもかかっていると思います。
おや、書き始めた時は、たしかに“おはようございます”の時間だったのですが。考え込んでしまったようです。いや、読み込んでしまったというべきか。 素敵な作品をありがとうございました。 |