まいどどうも、 ゆまなまこでおます この度は紫音はんの作品に無礼承知で感想なんぞ付けさて頂きます 特に、詩の感想なんて初めての事でっかから、けっこう的外れ、読み違い、見当違いのことをのたまうかも しれませんが、その辺はあとでご指摘ください。
まず「茶」 「擦り切れた奥の微熱 余韻を ゆっくりと癒し鎮めてく」 を何度も読むうちに この詩の本質が少し見えたような気がしました ま、わて的解釈ですが これは心の救済を求める詩なんですね お茶の熱とカフェインとポリフェノールで ささくれ立った心をなだめる ほんと、「お茶を飲む」という行為の本質を上手く 表現してはりますなぁ〜 ま、すこし「お茶のCM」ぽいのが気になりますけど・・・
次に「犬」 なんで「野良犬」って悲しんでしょうねぇ 犬にとって人間に捨てられるってのは もう「オシマイ」って感じなんでしょうねぇ この詩ではそのヘンが巧みに表現されてますね 生きるのに精一杯、でも何かを追い求める でも、なにかは自身にもわからない きっと、もう一度どこかへ帰属したいっていう欲求なんでしょう そこが犬の悲しさってやつでしょう しかし、野良犬=悲しい存在という固定観念がすこし「?」です ま、街が舞台だからかも知れませんね、 以前、森の中で見た野良犬は、怖かったですが堂々としてました 人間に帰属する事を捨てた犬ってのも魅力的ですよ、 ホント怖いけど
そして「紅茶」 三部作の中ではこれが一番好きです でも、たぶんわたしがやるなら宿には行かない どこか見事な森の中で、できれば美味しい湧き水が有るところで 小さなやかんと本当に小さな焚き火で 自分一人用の紅茶を煎れる これとよく似たことをよく登山やキャンプのときやりますよ ま、焚き火は難しいので携帯コンロを使いますが ほんと、いい気分になります 茶道で野点ってやりますが、あれも自然と共に茶の湯を楽しむ 風流な遊びですね。 お茶と、自然はよく似合う。
最後に小説「何もない一日」
日記みたいな小説、あるいは小説みたいな日記 面白いですね、架空世界の近況報告。 嵐のような日常が、ある日突然停止する。そして訪れる何もない時間 こんなとき、無様に慌てふためき、ムリからに忙しくしようとするヤツと 開きなおって悠然と、それこそお茶なんて煎れたりする人の二タイプが居ますが 彼女は後者ですね。 こういう人こそ、普段がむしゃらに働いている人なんですよきっと あるいみ、こういうインターバルって憧れます、 わたしなら、800字に収めるなんてもったいない事せずに こんな何もない一日をダラダラ書いてみたいですよ、ホント けど、制限があるから、あっさりと表現できるのかな? これが長けりゃ読んでるほうがイライラするか?
以上が、感想というか、なんかそんなもんです
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